【映画】『吉原炎上』小花(西川峰子)「ここ噛んで」の意味

五社英雄監督作品・映画『吉原炎上』を子供の頃にテレビで偶然見かけたシーンが、印象に残っていたわけですが、これが映画史上に残るトラウマシーンだと知りました。

トラウマ的な事態は、少しでも言語化して知識にして「頭の棚に収納」しないと消化できないということですので、このシーンについて語ってみたいと思います。

「誰でもいいからさ‥‥抱いておくれよ。ねえ‥‥噛んでよ、ここ。ここ噛んでここ! 噛んでよおっ!」

今まで敵対して、嫌がらせを受けてきた主人公の紫はこの狂気を目撃し「あんた、今まで‥‥いったい、どんな目にあってきたのよ」とつぶやく。

「なめて」とか「揉んで」とかではなくて、「噛んで」。

これは乳首や「ココ(アソコ)」を、実際、客に噛まれた事があることを示しているのでしょう。だからこそ「一体、どんな目に…」となるわけです。

自分が気持ちよくなるために女の体を買うような輩ならば、相手の苦痛はお構いなし、あるいはむしろ面白がって苦痛を与える場合もあるでしょう。

「噛んでも良いから誰か抱いてよ」「噛んでくるような客を繋ぎとめてでもナンバーワンになりたかった」

「今までどんな目に」とつぶやくのですから、「ここ噛んで」は、小春の過去を示しています。「一体どんな目に遭ってきた」というわけですから、良い目にあってきたわけではない。明らかに、酷い目に遭って来た。

狂気と錯乱の中で「噛んで」と執拗に叫ばざるを得ないような過去を彷彿させるからこそ、トラウマを与える程のシーンになるわけですね

以上、【映画】『吉原炎上』小花(西川峰子)「ここ噛んで」の意味について考察してみました。

悲惨な人生や凄惨な事件などは、映画や文学などで一時的に疑似体験するだけに留めたいものですよね……

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