数学小説『フラットランド』の魅力~「現実」を変容させる力は何処から来るのか

優れた芸術作品は、ひと時の異世界を楽しめるだけではなく、
現実の見方や生活まで変えてしまうような力を持っています。

1884年に英国で発表された小説『フラットランド』もそのような優れた作品の一つです。

この作品を読んで、
思考の世界へ想像の翼を広げる、という読み方は一つあると思います。
ですが、数学・物理という学問の枠にとらわれず、
「現実の世界」の翼を広げても良いでしょう。

そのうえで特に重要なのは、以下の2点ではないのかと当サイトは考えます。

〇この小説を読んでいる私たちは何次元にいるの?と問う事
〇ポイントランドはひょっとして重要なヒントでは?という事

これについて書きたいと思います。

1.『フラットランド』の概要

この小説は、
2次元から見た1次元や、3次元について、
さらには4次元、5次元以上の可能性について、
スクエア(四角形)さんの独白という形で執筆されてます。

スクエアさんは、まるで人間のように、
厳密な社会構造の中に生きています。

スクエアさんが住む世界は、
私たちの住む現代世界に極めて似ています。

当時の英国社会を風刺しているそうですが、
そう考えると、人間の社会というものは、
あまり変わっていないものなのですね。

しかも、単なる風刺、
つまり「認識してやったぜ」
で終わるのではなくて、

じゃあ現実にどうする?
という視点に立たせてくれます。

これは、明示されているのではなくて、
自分で見つけられるように促されているものです。

しかも、フラットランドは社会階層の仕組みを風刺しています。
つまり、数学・物理という特殊な世界に留まらない刺激を与えてくれるのです。

2.『フラットランド』の結末が問いかける「読んでいる私は何次元にいるの?」(ネタバレあり)

最終的にスクエアさんは牢獄でこの手記を書いていることが判明します。

スクエアさんは、結局フラットランド(2次元世界)の牢獄に収監されてしまいましたが、彼が見た別次元への認識を誰かと共有できる微かな願いを胸にこの手記(私たちにとってはこの『フラットランド』という小説)をしたためたのです。

その決死のメッセージからふと、

それでは、私たちは何次元に居るのだろう?

と考え始めることでしょう。

それを考えることが、なぜそんなに刺激になるのでしょうか?

〇 次元認識の仕組み

作中でも描かれますが、3次元からは2次元世界が丸見えです。上から見渡すことができるからです。しかし、どの次元であっても、その中にいると、全部を見渡すことができません。認識するためには、ひとつ上の次元から見る必要があるのです。(心理学的にはメタ認知と呼ばれ、コンピュータープログラミングではこうしたメタ認知の定義は困難を極め、人間の知能に特有であるともされます。)

それでは私たちは何次元にいるのか、これについて考えてみましょう。

私たちの視覚は、テレビや映画のように平面の連続とも捉えられますから、その意味では、2次元です。

触覚にとっては、平面ではなくて立体という事がわかりますから、3次元ですし、

視覚はそこに時間差(4次元目)が加わるので、3次元が認識できるのだということができます。

聴覚でも、存在するものの奥行きが計れるのは、時間の経過があるからです。

味覚や嗅覚も時間の変化があるからこそ、それぞれの味として、匂いとして、認識できるわけです。

こうして私たちは、4次元世界の住人だからこそ、3次元を認識することができます。

(ちなみに、ドラえもんの四次元ポケットのように、時間を4次元目としない考え方もあります。時間を4次元目と考えるのは「ミンコフスキー時空」などと呼ばれます。)

〇 私たちはこの次元に閉じ込められている?

さて、5次元以上となると、もう人間の五感では知覚することができません。

では、私たちも、3次元の認識しかできないまま、4次元に閉じ込められてしまうだけなのでしょうか?また、あとは思考(夢想)することしかできないのでしょうか?

実は、「思考(夢想)することしかできない」とする認識からして既に、現実世界が主たる現実であると考えているわけです・・・よね?

つまり、思考・夢想世界は「現実」に従属している、かりそめのもの、それ自体で存続しないと考えるわけです。

当たり前と思われるかもしれませんが、しかし、そういう意味では、その「現実」に「閉じ込められている」と言っても間違いではなくなってきます。

だからといって、思考の世界のほうが実は現実で・・となると、天才数学者がプラトン的イデアの世界を支持する(※)ような、常人には理解の及ばない考え方になるかもしれません。

ロジャー・ペンローズ『心の影1』参照。ちなみに、プラトン的イデアの世界は思考の世界とは厳密には異なります。「人間の思考の世界」と「物理の世界」の他にもう一つ、「イデアの世界」の3つがあります。ざっくり言うと、イデア(理想)として完璧な観念があるから、思考の世界で、数学的真理が理解できるし、物理的な世界ができあがる、という考え方が、(初期)プラトンの哲学です。

ここまで究極の(真理かもしれない)考え方よりも、一般的には「現実より思考の方が本物」とすると、もっと夢見がちな考え方が思い浮かぶのではないでしょうか。

いずれにしても、「思考の世界の方が現実」となると、一般的な認識とは、かけ離れたものになりますよね。

ですから、あり得るのは、以下の2つの選択肢になりそうです。

〇 認識できないけれど、確かにここに、高次の世界が広がっている、とたとえ夢想したところで、現実は「この」次元に生きていて、逃れるのは容易ではない。いや、不可能だ。

〇 思考(夢想)の方が実は現実の全てだ。

でも、この『フラットランド』という小説が示唆しているのは、たぶん、どちらを信じるか?という2択ではないようです。これら2つの対立の挫折を見せつけられて、「何とかならないものか?」と考えだす読者それぞれの旅が始まる、とも読めるのです。

〇 社会階層(「現実」)

この本のもつ最大の魅力の一つは、現代社会と見紛うばかりの、当時のイギリスの社会構造をフラットランドの社会として描いている所にあります。

その社会の秩序「以外」のこと、つまり別の次元について触れようものなら、その世界(フラットランド)の秩序を乱すものとして、厳罰に処されます。

これまで、罪人・狂人として処刑・幽閉された人々は、自分と同じように新しい認識を得た革命家だった可能性について、すでにフラットランドの古い言い伝えがあるとも示されています。

しかし、その事実は、階級維持にとってはタブーです。それぞれの階級があって、その階級を維持すること、そしてたまに昇格することも含めて厳格な構造があるのです。それはもう強固なもので、とても覆せるようなものではありません。

しかし、別の世界、別の次元があるとなれば話は別です。だからこそ隠蔽され処罰されます。

では、別次元の真実を隠蔽しながら維持される階級社会は、永久にそのままなのでしょうか?

この手記の最後には「フラットランドのあらゆる現実さえもが、病的な想像の産物にすぎず、根拠のない夢が織りなすもののようにも思われるのだ――。」と結ばれています。これは不幸な結末ですが、しかし、現実を突き破る突破口でもあります。スクエアさんが夢見た高次の世界、三次元世界も夢だとしたら、スクエアさんの住むフラットランド自体もが夢なのでは?と考えだす。つまり「現実だと思っているものも現実ではないのでは?」と提示されるのです。

3.ポイントランドは重要なヒントになるのでは?

小説の中では、ポイントランドは、「20節 球が幻の中で私を励ましたこと」の中に出てきます。それによると、いちばん「惨め」で、どうしようもなく発展性のない世界として描かれています。しかし、奇妙な事に、ポイント(点)本人は、幸福で満足しているのです。

このくだりは「そこで満足してしまってはおしまいだ」「満足することなく常に上を目指す者ほど惨めさと正反対な者だ」というメッセージをもっています。また、当時のイギリスにおける最新思想であった、ジョン・スチュアート・ミルによる「快楽による満足の質」を説明としての有名な一文「満足した豚よりも、不満足な人間の方が良い。満足した人間よりも、不満足なソクラテスの方が良い。」を思い起こすこともできます。

しかし、それぞれのランド(次元)を構成する基礎単位でもある点を考えると、今いる次元に閉じ込められているばかりではない私たち読者にとっては、ポイントランドの王(点)の在り方も、上を見てしまったがために幽閉されているスクエア(四角)さんの在り方も、両方とも、参考に自分の次元を超える事が出来るのでは無いでしょうか?

そのことを現実世界に引き付けて具体的に考察してみます。

〇 ポイントの在り方が次元上昇のヒントと考えられる具体的道すじ

私たちはしばしば、「社会が悪い」「社会が変わらないから俺も変われない」と考えがちです。確かにそれもその通りですが、しかし、こうなると、社会の方が変わらない限り、なにも出来ません。

やはり、自分自身が何か行動を起こさない事には・・・と言っても、行動を起こしたところで、巨大な構造システムの壁にぶち当たって、絡めとられるか敗北に終わるだけかもしれません。

しかし、だとしても、次元上昇し得るためには、やはり、何か操作をする必要があります。操作できるのは何でしょうか?今ない無い何かを・・・?

いえ、そうではなく、今ある何かを、です。

もっと具体的な例を考えてみましょう。

小学六年生の時に初めてこの小説を読んだ竹内薫さんの序文によれば、

この本を読んでから、私は「次元」について興味が出始め、アインシュタインの四次元世界、すなわち相対性理論を真剣に学びたいと思うようになった。そして、気がついたら、大学の物理学科に進みアインシュタインの理論をマスターし、しまいには、大学院で多次元宇宙論(超ひも理論の宇宙論)で博士論文を書くところまで突き進んでしまった。
竹内薫訳・『フラットランド』p.10

実際、いわゆる有名大に合格するような人は、特に受験勉強などすることなく、ただ勉強とも思わずに、日々楽しく暮らしていて、当然のように合格するという人も多いようです。それで、よくよく聞いてみると「高校の教科書だけで足りただけ(超進学校)」「好きな本を読んでいただけ」と、「それを人は勉強と言う」といった事をしているものです。でも本人は本当に「勉強はしたことがない」と認識しているわけです。

つまり、本人はその場その時に満足して全力で取り組んでいるだけで、気付いたら東大でした、ハーバードでした。という事は、実際あるわけなのです。

これは、絵を書くのが好き、物語を作るのが好き、話すのが好き、という方が、漫画家や小説家、漫才師などになるのと同じことです。こうした所謂クリエイティブな職に限らず、物を直すのが好き、人と話すのが好き、修理屋さん、営業さん、etc…ほとんど職業になってしまいましたが、職業でない在り方も、これで行けばあり得ます。走るのが好きでランナーになる人、子供が好きで子沢山になる人、山登りが好きで山登りが趣味になる人などです。

これは、どこか、点(ポイント)の満たされた在り方に似ていないでしょうか?

でもそれだけだったら、延々とその場所で満足してしまいますよね。ですが、何か欠けているものがあるからこそ、意欲が湧いてくるという面もあるわけです。お腹がすくから食べるわけです。無知だと思うから学ぶのです。自分とは違うと思うから惹かれる。でも自分自身の満足を求めていることには変わりはない。

ですから、ポイントランドにいるだけではなくて、「他の次元を知りたい、という認識に目覚めたスクエアさんのような意志も組み合わさって初めて、次元上昇が現実のものになってくると言うことが出来るでしょう。

〇 今・ここ、のポイントに無限の力が宿っている

「自分の足元を掘れ、そうすれば新しい世界が拓ける」(誰の言葉だか忘れてしまい、しかも、うろ覚えですTT 思い出したら追記します。ただ、こういう事を言う人は一人ではないと思います。マザーテレサも、「貧しい国に援助に行きたい」と申し出た人に「まず自分の国の人、自分の近所の人を助けてあげてください」と言っています。)

「今・ここ」が大事、

という事は、よく言われることです。

でも、「はいはい」と受け流しがちだったり、
分かっているのだけど、
何が「今」で、どこが「ココ」だか見失いがちです。

けれど、満足や喜びを指標にすると、今・ココがそこだと気づきます。なぜなら、今ないものを求める時、そこは、今・ココから離れています。だって、今無いのだから!「不満」です。

ところが、今あるものに取り組むとき、そこは今・ココに確かに満足し喜びを感じているということができます。

そこに集中することで、今いる場所から、別の次元へ上昇する道筋がみえてくるのではないでしょうか。

〇 「これはこうなっているだから、お前はそこから動くな」からの脱出作戦

「これはこうなっているから、おれはここ、そしてお前はそこから動くな」と皆が監視しあっている世界では、当然ながら、何も変化は起こりません。

「自分がこの規律に従っているんだから、お前も従え、外れる奴は許さん」

そうなると、外れた者を罰して、排除することで維持される世界ができあがります。

でも、

自分が自分に満足していればどうでしょう?自分に不満がないので、他人が何をしようと気にならない。だから、他人を監視する必要もありません。自分の目指した所に行く事を邪魔されない者同士の世界だったら、無限の発展性のある世界ができあがります。

つまり以上見てきた中には、次のような4パターンがあるのです。

パターン1.現状に満足なので動かない→変わらない(満足)

パターン2.現状に不満だけど動かない→変わらない(不満)

パターン3.現状に不満なので動く→壁にぶち当たってくじけるか達成するか(でも不満)

パターン4.現状に満足なので動き続ける→知らぬ間に達成(満足) ⇐今ココ!

「今・ココ」に徹すると、何が良いか、というと、4つめのパターンの可能性が拓けるからです。ポイント(点)のあり方が満足で理想的なのは、図形と次元の基礎であり、また、次元上昇のヒントであるからではないでしょうか?

ただ、フラットランドで示されていたのは、パターン1だけです、パターン4は、読者にゆだねられています―――。

まとめ

一般的に、「現実」だと思われているものは、「社会階層」や「五感をもつ身体」ですが、思考実験で無限な可能性を考えられ、時に思考していたものを現実の世界に創り出してしまう私たちは、「平坦な世界(フラットランド)」に縛られるばかりの存在ではない、という事が分かります。

そのうえでも、「今・ココ」というポイントから始めることによってのみ、そこから飛び立つ世界がひらけるわけです。

しかも、「今・ココ」が満足で幸福である、という所から動き始めることが最大のコツではないでしょうか?不満で動きだすとき、それは「今・ココ」というポイントからズレてしまうので、構造に対する不満が維持されてしまうというカラクリがあります。「自分が苦労してきたのだから、お前も苦労しなければ許さない」という世界。このような「現実」世界における具体例についてもご紹介しました。

以上が、図形と次元の基礎単位であるポイントに一点集中すると、次元上昇できる可能性がひろがるのではないか?という説です。

次元上昇を数学という分野に限ることなく、私たちの生きる社会に適用しながら考えることができるのが、小説『フラットランド』の魅力なのです。

「今・ココ」に、「現実を変容する力」があります。

メールで更新通知を受け取る

メールアドレスを記入して登録ボタンを押せば、新規投稿時にメールでお知らせします。
(無料です)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする